ダイジェスト版(YouTube)

 出演 村山俊介/吉村ひろの/菅原みなみ/岡村洋次郎
 
 
 音楽・音響 落合敏行/照明 アイカワマサアキ/映像 豊崎洋二/舞台監督 川俣勝人
 映像記録 たきしまひろよし(PLASTIC RAINS)/スチール記録 阿波根治(スタッフ・テス)/制作 坂本康郎

 
 
 
7月11日(金) 19:30  12日(土) 14:00 / 19:30  13日(日) 14:00
 ※全席自由、開場・受付開始は開演の30分前です。開演後の途中入場は、演出の都合上数分お待ち頂く場合がございます。
  劇場は「王子神谷駅」から歩いて15分程かかりますので、チラシをご持参の上お早めにご来場下さい。

 
会場:シアター・バビロンの流れのほとりにて  (アクセス)
 ※駐車スペースはございませんので、お車でのご来場はご遠慮下さい。
 
前売 2,500円 当日 3,000円 ペア 4,000円(要予約)
 
 
 
 
阿彌 http://www.tokyobabylon.org/gekidan_ami.html
東京バビロン http://www.tokyobabylon.org
出演者・吉村のblog http://cid-d12433cb7ebf796c.spaces.live.com/blog/
 



 
【劇団概要】
1994年結成。日本の古典である能楽をベースに現代劇の解体と再生を企図する舞台を上演している。
<ことばからだ>による、現代の詩劇・仮面劇の可能性を追求。
 
台本・演出 
岡村洋次郎(阿彌 主宰・東京バビロン代表)
竹内(敏晴)演劇研究所において、身体性の恢復のワークを通して舞台創造の根源に触れる(約5年間)。その後、観世栄夫(観世流能楽師)に師事(8年間)。現在は拠点劇場、東京バビロン(pit 北/区域、シアター・バビロンの流れのほとりにて)を立ち上げ、現代劇の解体と再生を企図。
 
 
 

長男を刺殺の疑い 浦和 高校教師と妻を逮捕

 
4日午前11時50分ごろ、浦和市領家1丁目、高校教諭●●容疑者(54)から、「息子を刺した」と110番通報があった。浦和署員らが現場にかけつけたところ、●●容疑者の長男でアルバイターのさん(23)が下腹部を出刃包丁で刺されて死んでおり、同署はその場にいた  容疑者と妻の●●容疑者(49)を殺人の現行犯で逮捕した。調べに対し●●容疑者は「息子の家庭内暴力にたえかねて殺した」などと話しているという。 朝日新聞・1992年6月4日夕刊
 
 
両親に執行猶予 浦和地裁 「子育て誤りなかった」
 
「長男の甘えが事件の第一の要因だった」と弁護側主張を全面的に認め、●●被告に懲役3年、執行猶予5年(求刑懲役7年)、●●被告に懲役3年、執行猶予5年(求刑懲役6年)の有罪判決を言い渡した。●●被告は熱心な国語教諭として1966年から県立高校で教べんをとっていた。「熱心な教育者」として評価は高く、事件後、教え子を中心に85,000通近くの減刑嘆願署名が同地裁に提出されていた。 毎日新聞・1993年3月4日夕刊
 
 
検察側は量刑不当と控訴し、二審の東京高裁判決(1994年2月)は、父親の●●被告について一審判決を破棄し、懲役4年の実刑判決を言い渡した。妻の●●被告については、検察側の控訴を棄却し、執行猶予をつけた一審判決を支持した。
 
 
 

清廉に研ぎ澄まされる、仮面劇の言葉
 2005.6「CUT IN」no.39より 故・井上二郎氏
(CUT IN元編集長・演劇ジャーナリスト)
 
 王子に<バビロンの流れのほとりにて>という劇場を運営するオフィス、東京バビロンが、王子駅前のビルの地下に<pit 北/区域>という二つめの劇場をオープンさせた。そのこけら落とし公演。この劇場は、客席が舞台の2辺に面して二つに別れ、満席でも80ほどという小さな空間だが、座ってみると、芝居がとても近く、また、舞台の天井がかなり高い。舞台と客席が固定された“くつ箱型”の空間に慣れきってしまうと、照明や装置はしばしば貧困になる。かえって、ここのようなクセのある空間の方が作り手への刺激になるものだ。今回の「Watashi wa Inko」でも、包帯でグルグル巻きにした大型の冷蔵庫が高い天井から音もなくゆっくりとせり落ちて来たり、すぐ目の前の壁に落ちるサスのシルエットがはっとするほど美しかったりと、独特の創意工夫が楽しかった。
 
 名門高校教諭の父親が家庭内暴力の息子を包丁で刺し殺す。3年前に実際に起きたこの悲痛な出来事を、5名の俳優が、仮面をつけ、父、母、息子、息子の恋人などに扮して演じていく対話劇である。例えば、殺された息子の恋人らしき女と、殺した両親の冷え冷えとするような対話がある。この女が、「自分たちも被害者なのだ」という両親の心に潜む欺瞞を責め、両親は無意味な自己弁護を繰り返す。あるいは事件の直前、これから息子を殺す父と母の、ふと気味悪い生暖かさを漂わせながら「殺しちゃおうか」とつぶやく、その共犯関係の対話。さらには、すでに殺された息子が両親を難詰し、息子がいつのまにか祖父に入れ代わり、両親(祖父から見れば息子)の行いをなじる。抜き差しならぬ人間関係と、言葉の、どちらが先に生まれているのか。この対話劇における人間関係と言葉が、仮借なく鋭くこちらに迫って来た。抑制の効いた演技のゆえか、仮面によって俳優の個性がひとたび背後に退くという効果なのか。
 
罪人とそれをとがめる者、傷つけるものと逃げる者。そういう関係が、澄み渡るように明晰で、言わば、ナマの人間と人間の関係を超えたものとしてそこにある。個人の小さな器を越えた、重く深いものがその場を支配している、と言えば良いか。これに較べると、あまたの対話劇と称する芝居の関係性のなんと緩く、いい加減なことか(それが凡庸ということか)。ここで最大の力は、やはり、事件の現実的時間を解体構築する構想力と研ぎ澄まされた台詞、すなわち台本の力に相違ないと思われた。「事件をもう一度、生きてみることによって、救済に到達できないだろうか。」そういう試みだったと、作・演出の岡村洋次郎は語っていた。清廉とも言える言葉を紡ぎ、仮面劇の豊かな可能性を舞台は雄弁に告げていた。劇団阿彌の次作にも注目したい。

 
 
 
 
<上演によせて> 阿彌 岡村洋次郎
 
 もう既に14年位前になるのですが、『阿彌』の旗揚げ公演の時、劇団員は当時20代前半の若い人たちで、ほとんどが舞台経験もなかったので、目論見のひとつとして、とにかく初めての舞台では、恥ずかしくても緊張しても台詞を間違ってもかまわないから、お客さんからいっさいがっさいを貰うようにして舞台に立とうということで挑戦してみたのですが、特にその時中心に立つことが多かった出演者のひとりは、「ラスト間近の長台詞の時、劇場中に自分の聲が響き渡っているのを感じていた・・・。」という感想でした。私も観ていて、そのときの舞台は、私の手を離れて勝手に動き出し、演技は拙いのですが、その場のエネルギーが彼を通して迸り出ているようでした。もちろん4ヵ月位、他者のまえに他者として自分を立て、他者から出発する、他者に対して躰を開くということを、ある意味で中心に稽古をしてきて、一度だけ起こった奇跡的な瞬間でしたが、そしてその時の内容は精神分裂の少年がこちらの世界に還ってくるという設定だったにもかかわらず、彼の目つきは最後まであっちの世界に行ったままでしたが、しかしその舞台で、とにもかくにもオーディエンスに躰を開いて立つことを経験出来たのではないかという感想を持ちました。それで今回の台本は、13年前に書いて2、3度改訂しながら再演を重ねて来た訳ですが、当初この事件を取り上げた際は、初演の経験から、まだまだ舞台に立ったら自分の事で精一杯であろうし、現代の社会と向き合うにはどうしたらいいのかと考えたときに、現代の犯罪事件を素材にすることは、おそらく無条件に演者とオーディエンスが互いに向き合わざるを得ないだろうということがあった訳です。そこでオーディエンスに躰を開いて立つ勇気があれば、どんなことが起こるかわからないという舞台を期待してのことでした。あれから13年が経って、あの頃よりは個々の演技を丁寧に興してゆくことから、舞台全体の構成にも明確なコンセプトを持ち得て、やっと強靭な骨格が出来つつあると思っているのですが。
 
ところで、この「荒野より呼ぶ声ありて」を上演するとき、あるいはテキストとして取り上げるとき必ず見てしまう夢がありました。それは私が夢の中で人殺しをしているのです。その夢を劇団員に稽古の帰り道話したのですが、夢としてとてもリアルで、それも撲殺しているくだりを克明に話していると、その内のひとりに「もうやめてください!」と言われてしまいました。それから二度目の時は、何人もの人間の頭をかち割る連続殺人者の夢を経験したのです。夢から醒めても、夢の現実を引き摺っていて、その時『今のは夢だったのだ・・』といくら否定して自分に言い聞かせても、胸苦しい思いから快復するには少なくとも1時間以上が必要だったように記憶しています。また或る時は公演後3ヶ月も寝込んでしまったりで、どうもこの事件というかテキストというか舞台も含めて、自分の無意識が多大な影響を蒙っているようです。但し自分自身が出演しているときは、どうやら無事のようです。舞台に立つと自分の躰の中に<抜けてゆく道>ができるのでしょうか?夢も見ないし、体調も崩しません。それで思い当たったのは、あるいは今までのこの公演では、知らず知らずのうちに、オーディエンスの中にずいぶん重いものを沈殿させていたかも知れません。しかし今回の公演においては、装いも新たにしました。オーディエンスの中にも<抜けてゆく道>が狂気のように立ち上がればと思っているのですが・・・<語りえぬ>ことを語れば瞬く間に逃げて行ってしまうことを承知で<語る>ことに挑戦しなければなりません。