劇団阿彌 GEKIDAN AMI  第十三回公演
『昭和神曲煉獄篇』―少年少女心中
会場:シアターバビロンの流れのほとりにて
 

2012年4月
12日(木) 19:00 開演
13日(金) 19:00 開演
14日(土) 19:00 開演
15日(日) 15:30 開演

 
前売 2,500円/当日 3,000円
ペア券 4,000円
(予約のみ)
学割 2,000円
(予約のみ・要学生証)
 
※全席自由席、開場は開演の30分前です。開演直後は演出の都合上、入場をお待ち頂く場合がございます。
 
 
予約・お問合せ/東京バビロン
http://www.tokyobabylon.org
 

 
劇団阿彌 ホームページ
http://www.tokyobabylon.org/gekidan_ami.html
台本・演出
岡村洋次郎
 
出演
森川みなみ
嶋津和子
中島理乃
坂入友里香
メコ
まぎぃ
小島一洋
【音楽・音響】落合敏行 【照明】三浦あさ子 【舞台監督】加古貴之 【衣装】櫻井基順(MEME)
【映像記録】たきしまひろよし
(PLASTIC RAINS)【舞台写真】宮内 勝 【宣伝美術】西村龍積(たつん堂デザイン)
【画】脇谷 紘 【小道具】脇谷 紘 【題字】小池潤雪 【制作】坂本康郎
 ©宮内勝
<沈黙を味わう> 阿彌 舞台 鑑賞の手引き
 
 まずは頭をからっぽにして、虚心になって、五感で感じて貰いたいと思っています。
特に阿彌の舞台においては、静かな時空間の中で、<沈黙を味わう>という姿勢が、意識を超えて自ずから生まれくる、ほんとうの想像力の源泉となるでしょう。それは観る人の無意識までも映して、舞台を共に創造するという、演劇ならではの体験となるはずです。
『昭和神曲煉獄篇―少年少女心中』 アンケートより
 
友人を誘い初めて観る演劇にわくわくして開演を待ちました。観客も出演者も若い方ばかりであったことに驚き、平日の夜、この若者たちはどんな気持ちでやって来ているのだろうとそのことが先ず気になりました。息子たちと同世代だったからかもしれません。
 
出演者の低く響きわたる声とゆっくりとした動作により、またたく間に異次元に誘い込まれました。ひろしの現実世界の声と霊界の声との調和が美しく、このような魂の存在の仕方もあったのかと感じました。狂気は多分身近に存在するもので、私自身に内包しているものだとも思いました。
 
また、人の身体、顔、体型、姿勢、声、表情、動きで表現することのおもしろさ、素晴らしさを見せていただいた舞台でした。
舞台を覆う真っ白い布に当てた透明な強い光が安らぎの世界を表象するようであり、現世のおぞましい魂を浄化するようでもあり、舞台を観終わって心が安らいでいるのを感じました。
 
素晴らしい演劇を鑑賞させていただきました。貴重な機会を頂きありがとうございます。 (女性)
 

またしても驚愕の事件が京都で起き、閉塞感を強くする心の中での本公演。確かに無垢であるが故に、少年少女の向かう行動の果てについては、考えさせられる日々です。彼らの意識そのものよりも、そう向かわせるものについて。そして、彼らを覆う「負」のエネルギーを上回る「正」の光を注がなければいけないと…。
 
静謐な説得力に満ちた作品でした。 (50代・男性)
 

劇団公演、はじめて拝見させて頂きました。体の細胞、内臓の動く音や空気の流れ全てが伝わり、身じろぎできなくなりました。
 
見た後頭がぼんやりして、「煉獄」をまざまざと見せ付けられた圧倒力。とても素晴らしい感覚を体験させて頂きました。ありがとうございました。 (20代・女性)
 

怖かったです。精神病は重い…。 (40代・女性)
 

全体的に古典的な様式美を強く感じた舞台でした。各々のパフォーマーが、個を消しつつも、言葉やイントネーションを捜しながら、作品に関わっていたり、余分な動作を消して、非日常的な世界を創り上げていく作業を積み重ねていった様子が伝わってきました。また、衣装もシンプルで後姿が美しく見え、素敵でした。
 
内容については、この作品は精神を病んで犯罪を犯し死んでいった者へのレクイエムであって、深い悲しみや病みが強くなっていく過程よりも、空に吸い込まれていったというストーリーが、自然と納得できるのは、戯曲・演出が二つの車輪のように、病みとハレを丁寧に創っているたまものだと思いました。 (女性)
 
 
劇団阿彌 GEKIDAN AMI
 
 1994結成。能楽の身体性と同時にその厳しい即興性をも取り入れ、現代劇の解体とその再構築による前衛的舞台を実現している。その求心的舞台構築の為、観客の無意識層に揺らぎを与え、そこから立ち上がる想像力において顕現するダイナミックな原初的舞台を目指している。その前衛と伝統のせめぎ合いの舞台は、日本において最も能楽に近い舞台と定評がある。
 
岡村洋次郎 Yojiro Okamura
 
 劇団阿彌,主宰、東京バビロン,企画プロデューサー。1948年生。竹内演劇研究所(故・竹内敏晴,主宰)において、<からだとことば>のレッスンを通して、舞台創造の根源に触れる。その後、故・観世栄夫(観世流能楽師)に師事という、能楽が現代演劇界と断絶している中にあって特殊な経歴の持ち主である。
神秘のキエティズム(静寂主義)
脇谷 紘 /版画家・舞台装置家

 
 いま現在の阿彌の舞台を支配しているものは、人を心地よくするものではない。むしろ安心することを拒み、緊張を強いてくる。分かり易いリアリズムではない。その代わりに、ある様式性とその抽象力によって、その場における俳優の身体や言葉を超えて、救い難い悲愴感とともに、それよりもさらに深い不思議な沈黙を、われ知らず体験することになるだろう。
 
 
2011.1 『荒野より呼ぶ声ありて』
―我が子刺殺(聖・家・族) ©竹浪音羽
『静かなる傾斜』アンケートより抜粋
芹沢俊介 /評論家

 
 昨晩はありがとうございました。2時間、内圧力の高いモノローグで貫き通したことに敬意を表します。言葉が詩に上昇しようとする箇所がちらっとあって(歌い上げることはモノローグの危うさです)、少しひやりとしたときもありましたが、全体としてはとてもよく抑制されていた感じでした。
 
 勤君の事件については、死後の内面を、小さな頭蓋骨の像として抽出したところは劇的な抽象力(批評性)を鮮やかに感じさせてもらいました。佐世保事件を間奏曲風に挟み込んだのはすばらしく効果的でした。ラストシーンは、琴の演奏をバックにした静かなダンスがくるのかな、と予想していたのですが。とにかく細部まで手抜きがなく、とても丁寧に磨きこんである古典劇のような作品でした。こういう舞台にはなかなか出会えないと思います。

2009.8 『静かなる傾斜』
題材/宮崎勤 連続幼女誘拐殺人事件
神戸児童連続殺傷事件 他 ©阿波根治


2010.7 『青いクレンザーの函』
―シベリアの空から… ©阿波根治
もう、浄らかに優しくなった静寂が、そこに来ていた…
阿彌公演『青いクレンザーの函』―シベリアの空から
小柳玲子 /詩人
 ―「Tokyo Avantgarde vol.2」より抜粋
 
 舞台には大きな青い箱が置かれていた。それはあの世から石原吉郎が象徴するシベリアの戦没者たちがこの世に出入りする戸口のようでもあり、眠りにつく棺のようでもあり、詩人が辛い食事をとった卓のようでもあった。
 
 あの時、私は久しぶりに石原さんと逢っているような胸のしめつけられる思いがしていた。あの舞台のどこかに、もう静かになった石原さんが、少し照れて座っていて、遠くなった自分を懐かしんでいるとなぜか私には分かっていた。舞台の静寂のなかで、もう浄らかに優しくなった石原さんは、静寂そのものとしてそこに来ていた。私は、それが岡村氏が演じている役であると知りつつ、石原さんとの不思議な再会を果たしていた。