[CUT IN no.45] 掲載記事
その刻私は死んでいて

岡村洋次郎(東京バビロン代表)
2005年 11月8日・9日 pit 北/区域
 『BOTTOMLESS/井戸に記憶される月』

 

 
 
第1部
 荒木志水
 
第2部
 首くくり栲象
 川村浪子

 
映像:ヒグマ春夫
音:中村としまる

 
 

 
 
 

 
 
荒木志水
静かにゆっくりと歩む荒木志水は魅力的だ。テルプシコール「舞踏新人シリーズ」での冒頭、そして早稲田Dancedoorでは、下手奥から微速度で斜めに歩んできた身体が輝いていた。さらに捩れて横たわる肢体が目に残る。さまざまなワークショップで研鑽を積み、舞踏とコンテンポラリーの間で模索している。性をテーマに半身を晒し、客席に入り込む大胆さも見せるが、対照的な爽やかさとキラキラ輝く目が人を惹きつける。
 
志賀信夫(舞踊評論家)
 
 
首くくり栲象
古澤栲(現・首くくり栲象)のアクションを見たのは30数年前です。場所は後楽園アイパレス。地上20メートル上空に首吊り上げられて魚の様に身体が左右上下へと飛び跳ねていました。当時から栲のアクションが表現か否か「否」の気配が見る人にも彼にもありました。しかし、70年代の喧騒の直中、彼も私も「否」を検証し対処する余裕もなく、またアイデアも浮かんではきませんでした。聴けば今だ首吊りを続行しているという。世間は彼の行為を表現と認めているのか。あるまい。認められぬまま栲に長年が首吊りの意味の変容を与えたのか。ならば重要は世間の否の反応ではない、栲は唯一で一回的である。具体性を伴っている首吊りを他の表現と比較し羨ましげに事を運んではならぬのが胆だアミーゴ。
 
手塚実(音楽プロデューサー)
 
 
川村浪子
川村浪子さん!あなたとは、68年に額縁舞台での作品「トルソ」で出会ったのが最初。その後、既成の舞踏への"アレルギー症状"解消のため、77年から九十九里白里海岸へ、体育館へ、風景シリーズへ・・・その過程で「歩行」という行為を選択。化粧なく、素のからだそのものを提示。さらに、ハルプリンとの出会いを経、衣装は皮膚そのものという行為へ進展。いつの空間も自身がそこに在るという厳しさと優しさ。あなたは今日は・・・。
 
堀切敍子(舞踊評論家)

 
 
 
東京バビロン http://www.tokyobabylon.org