『マ・グ・サ・レ』 稽古場日誌

9.26 成瀬信彦

無知と臆病風と興奮と思い上がりとで稽古初日より、我が身は元々周囲に迷惑をかけ通しの今日まで、
ふりかえればその先へと、悔恨と欲情がしみ沈んでゆく雨模様。
イヤをためる・スキをうめる・下に舌に脂汰に仕多に。―
言葉も観念もカラダにぶちまけて、肉体のおもう壷にすんでみる。
眩暈は眼を見開いてサクルこと。止どむるをもって軽みとせよ。
 マ・グ・サ・レ
物質が、時空が、よどみ、滞り、腐敗し、発酵し、さらなる歴史を生んでゆく。
巨塊を背負って足踏み足踏みオイッチニッ!
〜転がりゆく おもいやり。
そのポテンシャル・エネルギー 出合はれたし
劇場へ 彼方へ 此方へ
円縁 マ・グ・サ・レ



9.13 小林嵯峨


このところ妙に忙しく、いつの間にか日が経ってしまい、大変遅くなりましたが
9月13日の稽古場日誌を書き込みます。

今日は音楽の石川雷太さんもきてくださいました。
まだ音は出しませんでしたが、全体のイメージはつかんで頂けたようです。
前回の日誌にあった、私が持ち込んだ“内緒の物”をセッティングするのに時間がかかってしまったり、その後もなんだかごたごたしている間に、あっというまに時間が過ぎ去り次の稽古の方がみえてしまいました。
なんでこんなに時間がたりないの?
私も一つの場面でぐずぐずしたし、成瀬さんもいきなり吊りをやると言うので、その位置とか方法とかで試行錯誤してしまった。
そして、その後のシーンは結局出来ずに終ってしまいました。

混沌、混乱
転地の割れ目を支えたという中国の伝説の女神「ジョカ」は現われてくれるだろうか。

しかし、“内緒の物”をセッティングするとそれは蚕が蚕室で熱を帯びるように、何ものかを包み込んで発酵させるようで、あたりの空気が一気に汗ばむ。

蛹・擬似生命体・蛭子/シャム双生児/綱引き/幽霊の@/引力少女/聖(ひじり)/聖とむすめ/阿呆とむすめ/魑魅魍魎/幽霊のAと魑魅魍魎/騎馬シーン

踊りは泉鏡花「高野聖」を下敷きとし、そこにそれぞれのソロシーン等も織り込んで11のシーンで構成されています。
【水】は重要なポイントとなり、できればふんだんに使ってみたいものです。

私達が普段劇場で公演をする時、必ずそこにいくつもの制約が付きまとってきて、特に火と水は絶対駄目なのですね〜。
安全上、また建物の耐久性の上で考えれば当然のことだと思うのですが、やる側としてはこれは結構窮屈で、いつも何かしら欲求不満を抱えています。

“シアターバビロンの流れのほとりにて”はその名の通り、実際、隅田川に近く本当に水とは縁が深い劇場です。
都内で唯一水をふんだんに使える劇場となれないものだろうか。
などと、考えてしまう私です。



8.30 郡司園子 
(成瀬信彦 制作)

 「マ・グ・サ・レ」稽古二回目の今日は、衣装や小道具・舞台装置に使えるものなど、「海外旅行?はたまた全財産持ち歩くホームレス?」と見紛うような、全員持ちきれないほどの大荷物を抱えての稽古場入りとなった。嵯峨さんから「とても一人では持ちきれない」とSOSが入り、急遽宮下さんが迎えに行く。

暗黒舞踏のドキュメンタリー映画を撮りたいという映画監督筒井さんも稽古風景撮影のため来られる。筒井さんと宮下さんは同じ高知出身ということでたちまち意気投合。筒井さんは絵のセンスも抜群で(彼の絵コンテは「コレをそのまま劇画にすれば売れるんじゃないか?」というくらい素晴らしい!)、普段は寡黙だが、長年の映像経験から、求めれば的確なアドバイスがもらえるのがなんとも心強い。メイキングはもちろん本番も撮ってくださることになっている。

まずは嵯峨さんが持ってきたレトロな或る物(当日観てのお楽しみ!)を舞台装置としてしつらえ、白塗りこそしないものの全員衣装も本格的に着けて、本番さながらの稽古が始まる。

土方巽の「とにかく手の込んだ、緻密で繊細な、アイデアてんこ盛りで、ここまでやるかー」という舞台作りを知悉している宮下さんと嵯峨さん。
「土方は化粧だけでも3時間もかけるのよ」「場面転換が多いからそのつど小道具・衣装も変えなければならないし、それはタイヘン。『面倒』なんて言ってたらやってられない」と嵯峨さん。
「いい加減なところで妥協し、楽して手を抜いた作品が人の心を打つことは絶対無い」、と成瀬も言い切る。

感動は、土方や大野さんの舞台を観ればわかるように「観客の眼に見えないプロセスにどれだけ演者がエネルギーを投入したか」に比例する」のだ!

稽古は、先回のアイデア出し・打ち合わせで決まったソロ・群舞合わせて11シーンを演出兼舞台監督の宮下さんの「面倒を厭わず」書いてきた台本原稿に従いイメージを膨らませ、時間を計りながら、まずは順にやってみる。

「観客の眼」代表の私は「その動きはイマイチ面白くない。こうしたほうがいい、こうしたらどお?」などと遠慮無くダメ出し、意見出しをする。この日は思い余って実演もしてみせた(私って何様?素人だ!)。「素人は最良の専門家」という言葉もあるし、いい舞台を造るのに素人だからといって遠慮は無用。年の功で幸い自意識過少だし、ね!だって、観客の大方は素人なんだから―。観客に媚びたり、おもねる必要は無いけれど、大野一雄さんだって40代のときの初舞台でひとりの観客から「つまらなかった。退屈だった」と言われ、その言葉をなんと30年間も胸に暖めて舞台作りしたというし―。「いい舞台、最高に面白い舞台を作りたい」という熱意がホンモノなら、素人の意見をちゃんと聴くのが玄人の玄人たる所以じゃないか?!―と、私が強弁するまでもなく、宮下さんも嵯峨さんも、なんとも素直に謙虚に私の意見を聴いてくださる。

予定時間をかなりオーバーし、東京バビロンの吉村さんに待っていただきながら、11シーン、1クールを何とかやり終える。贔屓目に見なくとも、「う〜ん、なかなかいいかも―」。クーラーをガンガンにかけていたにもかかわらず全員汗だくで、畳んだ衣装がじっとり濡れていた。

稽古後いつものレストランで例のごとくディスカッション。先回は4時間近く「暗黒舞踏はマイナーなもの。自分の中に大きな負を抱えていたり自分の中の暗黒に気づいた人たちが演者となり観客となって細々と共有していくもの」という嵯峨さんの話や「コンテンポラリーダンスと舞踏の違いは、観た後で観客に宇宙や生命や自由や生き方などについて深く物思わせるかどうか」という宮下さんの話など、じっくり中身の濃い話し合いをしたのだが、今日は30分で切り上げ、玉野黄市さんが定宿にしているという都内某マンションの一室で開かれる「嵯峨さん還暦祝いの会」に全員そのまま直行。アフリカンテイストのなんとも雰囲気のある部屋に、前日急遽決まったというのに20人以上が集まる。

踊れる人は踊りを、歌える人は歌を、演奏できる人は演奏を、それぞれ入れ替わり立ち代り嵯峨さんにプレゼント。嵯峨さんからもお返しになんとも色っぽい踊りがあり、ついでに「髪の毛空間」など舞踏の型を習得するためのミニワークショップもやってくださる。女の数より男の数が上回る出席者。「24時間ぶっ続けで踊る舞踏マラソンをやりたい」という「生まれ替わって御歳零歳」になった嵯峨さんのこれからの活躍がとても・とても楽しみな一夜は飲めや唄えの大騒ぎのうちに、あっという間に更けていくのでありました。


8.16 宮下省死


 8月16日午後1時。大きな紙袋に、もしかして本番で使うかもしれない小道具をたっぷりとつめ込んで、東京バビロンに到着。成瀬信彦さんは、すでに着いていて、入り口でタバコを吸っている。今日が、「マ・グ・サ・レ」の三人がそろっての、東京バビロンでの最初のけいこ日。

携帯で、小林嵯峨さんの所在地を確認しようと電話をしていると、成瀬信彦さんが、突然劇場側の女性スタッフに対して怒鳴り始める。「練習で音響器材費三千円を取るのは、劇場側のフェスティバルに対する熱意がたりない。」との事。すぐに小林嵯峨さんが、前日まで写真撮影をしていた清里より、劇場に到着。成瀬信彦さんが、「嵯峨さん、この衣装を着てみて下さい。」と声をかけるが、「全体の流れが決まってからでないと、衣装は着れない。」と、これを拒否。三人がそれぞれ自分のやりたい事柄のアイデアを出し合っている時、劇場主である岡村洋次郎さんが登場。「音響器材費の事で、劇場の女性スタッフを怒鳴りつけるのは、納得できない。」と言って、成瀬信彦さんと一触即発の雰囲気。日記の読者にとっては、願ってもない展開であったかもしれないが、結局成瀬信彦さんが素直に謝り、岡村洋次郎さんが練習の音響器材費を只にしてくれて、今日の練習時間を一時間延長する事を約束してくれて、一件落着。

三人がそれぞれ出したアイデアを、流れを重視してアットランダムに組み合わせ、全部で十一のシーンが仮定され、次回の練習で衣装と動きを合せてみる事にして、それからの残り時間は、個々のシーンの練習に費やして、たっぷりと気持ち良い汗を流しました。

5時に劇場を出て、駅近くのファミリーレストランで、9時過ぎまで、ゆっくりと時間をかけて全員で食事会。成瀬信彦さんのマネージャーである郡司さんによると、「練習の日は一切食事はせず、衣装を着て音楽をかけ、本番と同じテンションでいつもけいこをするので、成瀬は今日はちょっと短気になっていました。」との事。練習形態もまったく違う三人が、一つの作品をつくりあげるのは、大変な作業となりますが、それぞれが十分に楽しんで、かつお客様にも十二分に楽しんでもらうという、最終目的については、全くずれが無いので、混沌としたとても面白い舞台が出来上がる事を確信しています。

最後に、東京の都心よりもやや遠方にある東京バビロンにまで足を運ばなければ絶対に見れないという、独自の企画をこれからどんどんと岡村さんにたてて欲しいという全員の要望で、食事会はお開きとなりました。





東京バビロン http://www.tokyobabylon.org